諸行無常日記

京大文学部卒の社会人が書きたいことだけを書いていきます。

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【社会人5年目】ノルウェーで5ヶ月弱過ごした感想【番外編】

こんにちは。TsutayaPです。

なんだかんだあって全然ブログを書けていなかったのですが…苦笑。

一念発起、紅白歌合戦を見ながら少しばかり書いていこうと思います。

 

なぜかノルウェーに行くことになった経緯は以下の記事をご覧ください。

www.tsutaya-p.com

 

目次

 

ノルウェーはどんな国だったのか(概要)

ということで、国名と国旗とサーモンくらいしか知らない状態でノルウェーに行ったわけですが、どんな国だったのか、簡単に振り返ってみたいと思います。

 

面積:38.6万平方キロメートル(日本とほぼ同じ)

人口:525万人

首都:オスロ(人口約70万人)

言語:ノルウェー語/サーミ

宗教:キリスト教(福音ルーテル派)

 

引用元:外務省

www.mofa.go.jp

 

地図はこんな感じ。北部はがっつり北極圏に被っている、極めて南北に長い国です。緯度が高いこともあって、夏は長く、冬は短いです。

私が着いた5月ごろというのは特に夏が長く、11時くらいまでは普通に明るかったので、とても驚いた記憶があります。

画像・写真:ムンクが表現したノルウェーの芸術的な自然に触れる(148/148):時事ドットコム

 

さて、あとは何を書けばいいのだろうか。笑

少し歴史についても触れておきます。古くはバイキングの国だったわけですが、次第にキリスト教が浸透。一度はノルウェーとして独立するも、その後デンマークスウェーデン)の支配下に置かれる時間が長く続きます。

フランス革命などをきっかけに、支配権はスウェーデンに。その後、1905年に念願の独立。今に至るというわけです。

その歴史のために、ノルウェー語というのはデンマーク語/スウェーデン語と似ているとのこと。彼らは大体どの言語も理解できる上に、英語もしゃべれてしまう。羨ましい限りです。

 

最後に付け加えるとすると、ノルウェー独立後もしばらく貧しい時代は続きますが、1960年代の石油開発によって国はどんどんと豊かになっていきます。そのおかげで現在の高福祉国家、そしてEUに属さないという独自路線が達成でいるわけですね。

…まあ、こんなところでいいでしょう。笑

 

ノルウェーとはどんな国だったのか(生活)

まずは家について触れます。

オスロ中央駅から西に2kmほどのところ。緑豊かな素晴らしい場所でした。暑くても25度くらいにしかならなかったので、本当に気分がよかったです。笑

この道を進んでいくとあるのが、ノルウェー王宮です。ノルウェー国王が住んでいる場所…なはず。周りが2km弱なのですが、アップダウンに富んでいていいランニングコースでした。私もちょくちょく練習させてもらいました。

アパート外観はこんな感じ。5階建てで、そんなには新しくない感じ。ただ、エレベーターがあるのはありがたい。

(めちゃ散らかっていますが)中の様子も。家族用物件なので、一人で住むにはもったいないほどの広さでした。海外素晴らしい。笑*1

 

続いて食生活について触れていきます。普段の食生活というのは、それはそれひどいもので…ラーメン、そば、うどんのオンパレード。一応炊飯器はあったので白米も食べていましたが、おかずは皆無。意外と自分は食事に無頓着なんだなと気づけました。

その他、ノルウェーの食生活は貧弱なことで知られているのですが、その中でもマシそうなところを開拓することで生き延びました。

まずはスタバ。でもこの1回くらいしか行っていないかも。笑

www.starbucks.no

 

あとは、オスロでなぜかプチ流行りしているラーメン。「こいえラーメン」というところです。ちょっとラーメンではないのですが、acceptableな味でした。こういったものに助けられたりします。

koieramen.no

 

あとは日本定食風の店にも。とんかつがあまりにもうすかったのですが、白米が食べられるだけで耐え。評価がどんどん甘くなっていきます。

 

最後に観光的な面も少し。

メインストリートはカール・ヨハン通り。ノルウェー王宮とオスロ中央駅を結んでいる道で、ここに行けば何でもあるという場所です。たまに歩きました。

オスロには観光スポットが本当にないのですが、強いてあげるのであればムンク美術館。ノルウェーが誇る画家であるムンクの作品が飾られています。

ムンクといえばこれ、というのが『叫び』。ここには3種類の叫びがあって、時間ごとに切り替わって展示されています。ノルウェー人の苦しみを代弁したのがこの絵、ムンクという画家ということもあって、国内ではそれなりに人気があるようでした。

www.munchmuseet.no

 

この5ヶ月で得られたもの/得られなかったもの

外堀を埋めたところで、少しばかり本筋の振り返りもしておこうと思います。

 

得られたもの

  • (少しばかりの)海外生活経験
  • (少しばかりの)英語でコミュニケーションを取るという経験
  • 人種による人間の違いのあるやなしや

 

得られなかったもの

  • 確かな英語力
  • 確かな業務遂行能力
  • 確かな将来展望

 

…書いていてこれでよかったのか心配になってきました。笑

(間違いなく)よかったのは、業務の一環という形で(自分のお金を使うことなく)海外に行くことができ、そこでの生活や業務を身をもって体感できたこと。

よく「グローバルに活躍したい」などという目標を持ったりしますが、留学経験などがなければ、あまりに宙ぶらりんな目標なんですよね。それが、すこし実感のある形を帯びたものになったのはよかったなと。

そして、5ヶ月の間力不足ながらも、それを何とかやりとうせたことも確かな自信にはつながりました。欧州の人だからという先入観はあったものの、良くも悪くも一人の存在でしかなく、一対一で向き合うのが重要というのもいい気づきでした。

 

他方で。やっぱり英語はしゃべれていないし、仕事にモチベーションは入らないし。もっと事前の準備があればうまくできたのかな、と思うことも多くありました。一番悔しかったのは英語ですかね。あれだけしゃべれなかったのはショックではありました。練習していないので当然なのですが。

将来自分がどうなりたいのかも含めて、今一度本気で人生に向き合う時期が来ているという感じがします。

 

今後の展望

この5ヶ月の経験をもって、自分はどこに行き、何を目指していくのか。これが難しい問題です。

 

実は少しばかり行動は起こし始めていて、10月に帰国後部署が総務から事業部へ異動となりました。「再生可能エネルギー」とやらを担当します。自分が今後長く従事しなければいけない「仕事」において何がしたいのか、色々と考えてみたいと思います。

 

また、海外駐在についても少し考えが変わりました。ぶっちゃけると、日本生活最高だなと。笑

わざわざ海外駐在に行くことないんじゃないかなと。とはいえ、今回なしえなかった忘れ物のようなものはあるので、それは取り返したい気がする。そういう意味では、きちっと業務を遂行しつつ、英語運用能力を高め、「お前こそが適任」ということで海外に赴任する。そんな未来なら迎えてみたい気がします。*2

 

前のフレーズの繰り返しになりますが、せっかく1回しかない人生なので、自分なりに何かを成し遂げる人生にしたいという思いを強くすることができた5ヶ月だった気がします。

 

 

この記事はこのあたりで終わりにしたいと思います。

今年このブログを読んでくださった方(いるのかしら?)、ありがとうございました。

よいお年をお迎えください。

www.tsutaya-p.com

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*1:家賃が鬼ほど高いらしい。無駄に広い家に住めるのは、海外駐在ならではの魅力です。

*2:大層な発言ですね。