こんにちは。TsutayaPです。
意外とだらだら文章を書くのって難しいと気づいた今日この頃です。
ですが今日も何となく書きたいと思った話題があるので、頑張って考えをまとめて書いていきたいと思います。
思考を言語化する練習はきっと無駄にはならない…はずです。笑
前回のエッセイはこちら。
目次
"友達"の定義を考えさせる作品
ドラマ(アニメ)を見ることを趣味としている私ですが、比較的面白いと思って見ている木10『ゴシップ』*1の第5話は「友達の定義」について考えさせられる回となりました。詳細なあらすじは以下に譲ります。
具体的なやりとりを引用してみます。緑のマフラーをしている黒木華さん演じるのが凛々子、石井杏奈さん演じるのが真琴です。
凛々子「友達、あなたの定義は?聞かせて」
真琴「私の夢を笑わなかった、だから友達です」
凛々子「それが友達?プロの彼女の何を知ってる?そんなあなたに何が出来る?ここにいても時間の浪費、帰りなさい」
何も言い返せない真琴。
とまあこんな感じです。
そして凛々子自身も友達の定義について考え、苦い思いをしていたことが続く第6話で明かされます。
これも具体的なやりとりを引用してみます。
緑のマフラーが凛々子、金髪の女性が春香です。
中学時代、春香は「友達」を辞書で引く。
友達:互いに心を許し合って対等に交わる人。一緒に勉強したり遊んだりしゃべったりする親しい人。
そして勝手に赤マーカーを引いた。
春香は「これ間違ってる。死んじゃったら友達じゃなくなるの?友達ってのはまた会いたいなって人」と言う。
元々連んでいた集団が春香を迎えに来た。
その集団の1人が「2人は友達なのか」聞くと、凛々子は「違う。私に友達はいない。」と答えた。
春香も「そうだよ」と言った。
しかし、凛々子の言葉を気にしながら歩いていく春香。
私は、この一連の流れを見て、勝手に胸を痛めていたというわけです。笑
この手のテーマはこれまで何度も取り上げられてきていると思うのですが、未だに新鮮に見ることができるのは、それだけ人間に取って本質的で極めて重要なテーマであるということの証と感じます。
ネットで調べてみる
ということで友達の定義について考えさせられるドラマを見た私。
確かにそれを明確に答えるのは難しい気がしますね…。
とりあえず私も辞書で引いてみたいと思います。といっても手元に辞書があるわけもないので、Web上の「goo国語辞書」で検索。ちなみに「goo国語辞書」は小学館提供の『デジタル大辞泉』を搭載しているとのこと。
とも‐だち【友達】
互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「―になる」「遊び―」「飲み―」
まあ辞書なんで端的でまとまった文章なんですが、ピンとはきません。
さらに適当にネット検索を続行。
例えば下記ページにはいろんな定義が列挙されています。
- 損得勘定抜きで付き合えるか
- お互いに本音を話せるか
- 相手の幸せを純粋に喜べるか
- 困難な時に支えようと思えるか
- 長時間一緒に居ても苦に感じないか
- お互いの価値観を認め合えるか
- もしもの時に駆けつけてくれるか
- 厳しい意見も言ってくれるか
- 今後もずっと付き合いたいと思えるか
- 久々に再会してもすぐに打ち解けられるか
実に色々な観点があるんですね…なるほど〜と思いながら自分の価値観と比べていました。
あとは若干本筋とずれるかもしれませんが「友達」と「親友」の違いもよく議題にあがりますね。例えば下記ページに分かりやすくまとまっていました。*2
ここでは一つの考え方として、「親友」>「友達」として、その差異について以下のような観点を挙げています。
- 長所と短所を認め合えるか
- 苦楽の感情を共有できるか
- 本音が言えるか
- 相互に信頼感が持てるか
上の「友達」の定義とも被るところがありますね。これまた難しそうです。
私なりの友達の定義
そろそろ私も定義づけしようということで、以下のような考えにまとめてみました。
異論は大いに認めます。
- 会話がない状態で長時間一緒にいても苦に感じないこと
- 自分の本音が言えること
- 「親友」≒「友達」
上記の考えに至る上で、このページが参考になりました。
私という人間は、なぜか気疲れしてしまうタイプです。
飲み会でも2時間経てばエネルギーが切れて何も話せなくなるような人間ですし、人と会った後は自分の発言について脳内反省会をしてしまうような人間です。
いわゆる「HSP」的な気質があるようです。
そのため「会話がなくても気疲れしない」というのはまず前提条件かなと思いました。これを満たす時点で相当「友達」とは言えそうだなと。
加えて、「好き勝手話しても気疲れしない」場合は「親友」と言えそうだなと。
そして上記2つは同時に満たしている人の方が多いので、「親友」≒「友達」ということにしました。自分としてはそこそこ満足がいっています。笑
ここまで書いてから言うのもあれですが、こんなことをねちねち考えている時点で「自分なんだかなあ」と思ってしまいます。
「〇〇は友達〜」と何も考えずに答えられる人の方がいいですよね。笑
そういう人に憧れを持ちつつ、自分は自分らしく色々考えをこねくり回しながら生きていこうと思います。*3
私は友達が少ない?
さて、上記定義を踏まえて私には一体何人の友達・親友がいるのかを考えてみました。
具体的に何人とは書きませんが、友達の定義に当てはまるのは両手に収まるか収まらないかくらいにはなりそうです。
下記によると平均は27.1人と言うことなので、私は平均よりは少ないということになります。ただその友達は、ほとんど親友に近いので、親友は平均より多いのかもしれません。何か不思議な感じです。笑
ここまで書くと、流石に自分がかわいそうな人間であるという意識は消え去ってきたような気がします。少ないながらも信頼できる人間がいるということが、ある程度客観的に確認できたからです。
この記事を書いた意味があるということですね。笑
この繋がりを維持していくのは大変です。
自分から人を誘えない私としては、人からの誘いにはなるべく応えようと思います。
ちなみに、本章のタイトルは『僕は友達が少ない』をもじらせて頂きました。*4
おまけ
この記事を書きながら思い浮かべた作品に少しばかり言及しておきます。
船を編む
辞書作りに賭けた人たちの物語。『風が強く吹いている』の三浦しをんさん著で2012年の本屋大賞作。
この小説を読むと、辞書の意義と辞書で言葉の意味を引くことの尊さがより感じられるようになる気がします。
人間関係に悩むのはどの時代も変わらずですが、「友達」「恋愛」という言葉を定義から考えられるのは辞書があってこそのこと。
関わっている方に感謝と敬意を示したいと思います。
宇宙よりも遠い場所
女子高生たちが南極にたどり着くまでを描いたテレビアニメ。見た目のほのぼの感とは裏腹に、文部科学省、国立極地研究所が協力しているという力の入りよう。通称『よりもい』
第10話で登場するのが「友達誓約書」。これを結べば友達になれるらしい。
友達は誓約書で定義されるものではない、もっと曖昧だけども確かなものだ、それはお互いに分かるものなのだというのがアニメでの本筋。
クスッと笑ってしまいつつも、共感もできる、屈指の名シーンだと思います。
恋せぬふたり
他者に恋愛感情を持たない「アロマンティック」や性的感情を持たない「アセクシャル」である2人がひょんなことから家族を目指して同棲し、関係性を模索するという話。*5
友情と恋愛感情ってどう違うのでしょうか。私の実感として何となくの違いを感じつつも、明確にすることはできていません。何だかモヤモヤしています。
私は仲良くて人生や生活に対する価値観が合えば結婚できると思っている人間です。故に、結婚するなら親友のような人間が望ましいと(現時点では)思っています。
最後までお読み頂きありがとうございました。
興味がある方は以下もぜひご覧ください。