京都人が京都大学を目指した話。
本日は3月10日。Twitter上ではたくさんの #春から京大 を目にすることができました。
合格されたみなさん、おめでとうございます。
一方で卒業式の中止が発表されました。そんなこと言っても、一部の人間はコスプレしてクスノキに群がるんでしょうね…笑
不謹慎かもしれませんが3月24日が楽しみです。
さて、こちらでは高2の時の話を書きたいと思います。
前回の話はこちら。
目次
高1のまとめ
- 勉強はテスト前しかしない
- 本気出せば京大には受かると思っていた
- 総合人間学部に興味を持つ
- 理系を選択する
担任
高2の話に入っていきます。
担任となったのは、定年間近の生物の先生。学歴は不明なのですがとにかく不思議な先生でした。普段から特に怒ることもなく淡々としているのですが、ある一つの言葉にだけ力感がこもっていたのを覚えています。
「綱渡りはせなあかん」
これは、当時同じクラスだった全くやる気のない生徒に対してかけられた言葉なのですが…笑 自分に対しても同じように突き刺さったのでした。自分で意志を持ってものごとなすことの重要性を説かれていたのだと、今では思います。
この先生はほかにも面白いところがありまして、定年を目前にして教師を辞めてしまいました。笑 何でも、翻訳したいもの*1があるのだと。しきりに教室でも自身が翻訳されたものを勧められたのを覚えています。
同窓会で会った時に「お金がないので非常勤を始めた」と聞いたときは笑ってしまったのですがね。笑
日々の過ごし方
日ごとの学習時間:ほとんど0。テスト前だけ30分~5時間(定期テスト前で本当にやばい時)。
高2にもなると勉強の濃さは増すばかりなのですが…私の勉強スタイルは相変わらず。テストをクリアするためだけに最低限勉強するだけでした。ところが、最低限の勉強でもかなり厳しいんですね。ただでさえ難しくなる数学・物理・化学に加えて、文系科目が次々と降りかかってきます。地理・世界史・政経・倫理…理系なんですけどね。笑
未だに覚えているのはは高2の前期末テスト。普段は睡眠時間をしっかり確保するために12時までには寝ていたのですが、この日は化学の無機分野を全く学習していなかったことに加え、世界史Aの丸暗記もしないといけなかったため、夜遅くまで勉強していました。その結果、オールナイトニッポンを初めて生で聞くことができてしまったのです。笑
志望校
私が志望校を明確に意識することになったのは、2年生10月の「受験生宣言」でした。
何だそれは、という方がほとんどかと思うのですが、これは学年集会で各クラスの有志が壇上で「俺たちは今日から受験生になります!」と宣言するだけの極めてつまらないイベントです。
もちろんこれだけではそれほど意味を持たないのですが、私にとって大きな意味があったのは、このタイミングで初めて正式に志望校について尋ねられたことです。
この用紙を書く過程で、初めて受験制度がいかなるものかを知り、京都大学のほかにもたくさんの大学があるということを知りました。本物のあほですね。笑
結果から言うと、志望校が京都大学から変わることはありませんでした。地元にそびえたち、小さい頃から否が応でも意識させられてきた大学なのです。受験前から逃げるという選択肢を第一に選びたくはありませんでした。学部については高1の時同様、教員免許がたくさん取得できる、学べる領域が広い、といった点から総合人間学部に魅力を感じていました。
なのですが、実は他に一つだけとても魅力を感じていた大学があります。
書道を専門的に学ぶことにロマンを感じていたこともありました。今思えば、賢い同級生たちと正攻法で戦うことを恐れていたのかもしれません。結果的に、この道は選ばなかったのですが…書道と真面目に向き合っていたらどうなっていたのだろうと思うこともあります。
ちなみに、書道は大学に入ってから趣味としてやっていました。笑
高2のまとめ
- 高1から大きな変化なし
- ようやく受験制度を知る
- 京大をより強く意識する
おまけ
高2の大晦日。私は思い立って自宅から京大の正門まで走っていった。この目でその存在を再確認するために。辿り着いたその先に、正門は、クスノキは、時計台は確かに存在した。1枚だけ写真を撮って帰宅した。この写真は私が本当に合格するその日まで支えとなってくれたのだ。
唐突な小説風。笑 あんまりうまく書けないですね。
とにかくどの大学を目指すにしろ、一回自分の目で見るということは思っている以上のモチベーションになります。すべての受験生にお勧めしたいと思います。
※写真はイメージです*3
次回へ続く。
京都大学文学部に合格するまであと2年。
春から京大